光厳上皇院宣
印刷 ページ番号1043599 更新日 2026年6月9日
尼崎の指定文化財
光厳上皇院宣(こうごんじょうこういんぜん)
指定 尼崎市指定文化財
種別 古文書
数量 1幅
所在地 尼崎市南城内10-2
所有者 個人
指定日 令和8年3月24日
観応元年(南朝正平5年、1350)、公家の大炊御門宗実(おおいみかどむねざね)に対して、宗実の亡父である冬信の生前の願いに基づき、家督や家領などを支配するように伝えた光厳上皇の院宣(命令書)です。
上位者の意思を奉じる「奉書」という形式の文書で、光厳上皇の側近である中御門宣明の花押(サイン)が記されています。
光厳上皇は北朝初代の天皇(在位1331~1333年)です。光厳天皇は元弘元年(1331)に践祚しますが、後醍醐天皇の復権により在位2年に満たず退位して上皇となりました。その後、足利尊氏に協力して室町幕府の創建に寄与し、弟で北朝2代の光明天皇、息子で同3代の崇光天皇が在位中の建武3年(1336、南朝延元元年)から観応2年(1351、南朝正平6年)まで15年間にわたって院政を行いました。
上皇として院政を敷いた期間には、尼崎市内に存在した荘園である東大寺領杭瀬荘や興福寺領浜崎荘に関する安堵や裁断を下しました。また、寺町の大覚寺には、住持であった琳海に対し、西園寺公衡(光厳の祖父)が安産祈願により娘の広義門院寧子が無事に光厳を生んだことに感謝を伝える書状の写しが残されています。
大炊御門家は、藤原道長の曾孫である経実を祖とする家で、琴・笛・筆道を家業としていました。家格は最上位の五摂家に次ぐ清華家で、家名は2代経宗の邸宅の大炊御門富小路亭にちなみます。鎌倉時代末期から南北朝期にかけて、宗実とその兄弟間で家督争いがおこっていたため、宗実にとっては上皇による家督・家領の安堵が重要であったと考えられます。
大炊御門家は位倍荘(いべのしょう)(現西宮市)を相伝知行していました。ちなみに、大炊御門家の庶流に堀河家がありますが、堀河家は杭瀬荘の領家職を相伝していました。尼崎市域と周辺には、大炊御門家やその親族らが所有していた領地が存在していたと考えられます。
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