豊臣秀吉・桑山重晴木像

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印刷 ページ番号1028935 更新日 2022年3月30日

尼崎の指定文化財

豊臣秀吉・桑山重晴木像

  • 豊臣秀吉木像菊桐紋蒔絵厨子
  • 桑山重晴木像黒漆厨子

指定  尼崎市指定文化財

種別  工芸

数量  各1基

所在地 尼崎市大島3-17-3

所有者 宝樹院

指定日 平成6年3月28日

 この木像及び厨子の伝来する宝樹院はかつて寶集院と称し、天正年中(1573から92年)桑山重晴によって再建されたと『摂陽群談』に記されています。本像がいつごろ当寺に納められたかは明確ではありませんが、同書に「豊臣公の影像、法印自像、各殿内にあり」とあることから、少なくとも江戸時代初期から当寺に伝えられていたと考えられます。

豊臣秀吉木像菊桐紋蒔絵厨子(とよとみひでよしもくぞうきくきりもんまきえずし) 1基

豊臣秀吉木像

 木像は寄木造りで彩色を施しており、高さ23.5cm、最大幅28.5cm、最大奥行19.6cm。体幹部を一材で彫り膝前部を別材で寄せ、頭部は首ほぞで差し込むように造られ、玉眼、彩色像で衣の地文様を残しています。像様は衣冠束帯姿で笏をもつ、坐像です。

 像を納めた厨子は総体黒漆塗り、銀梨地粉を地蒔きし、屋根から扉・側面・背面にかけて金銀平蒔絵・絵梨地を併用した菊桐紋を散らしています。菊は一重、八重、裏菊、桐は五七桐の形式で、いずれも紋の中心に針穴が残っており、コンパスを使用して紋を作図したことが判ります。菊桐紋の蒔絵は同一の形式をとりながら、片半分、あるいは上下を金銀で色分けするなどの変化をつけ多彩な効果をあげています。このような蒔絵の手法、形式や色彩感覚は慶長期特有のものであり、この厨子が秀吉没後の慶長3年(1598)から大坂城落城の元和元年(1615)の間に製作されたと考えられます。また正面扉の内側には左右それぞれに法体(ほったい)姿の人物像が描かれています。厨子の法量は、高さ43.5cm、屋根奥行29.2cm、屋根左右38.8cm。

桑山重晴木像黒漆厨子(くわやましげはるもくぞうくろうるしずし) 1基

桑山重晴木像

 木像は寄木造りで彩色を施しており、高さ19.8cm、最大幅23.9cm、最大奥行17.2cm。体幹部を一材で彫り膝前部を別材で寄せ、頭部は首ほぞで差し込むように造られ、玉眼、彩色像で、像様は僧衣をまとった法体姿の坐像です。台座は黒漆塗りで、花唐草文様が描かれています。台座裏に墨書があり、「くろぬり」と読めます。木像を納めた厨子は、秀吉像の厨子とほぼ同形・同大ですが、蒔絵は施されず黒漆塗りです。底板には「志たち」の墨書があります。厨子の法量は、高さ44.0cm、屋根奥行30.0cm、屋根左右38.8cm。

 慶長期に製作された豊臣秀吉の木像は、近畿地方では何例か知られていますが、秀吉と桑山重晴の木像がセットになっている例は、宝樹院の他に大阪府岬町の理智院のものだけです。桑山重晴と宝樹院との関係を具体的に示す史料が現存しないため、秀吉像・重晴像がどのような経緯をたどって当寺に納められたかは不明ですが、秀吉像を納めた厨子は、高台寺蒔絵と総称される桃山期の蒔絵によって飾られており、この時期の美術工芸資料として価値有るものです。

このページに関するお問い合わせ

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