寛文十年頃尼崎城下絵図

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ページ番号1029055 更新日 令和4年3月30日

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尼崎の指定文化財

寛文十年頃尼崎城下絵図(かんぶんじゅうねんごろあまがさきじょうかえず)

寛文十年頃尼崎城下絵図

指定  尼崎市指定文化財

種別  歴史資料

数量  1枚

所在地 尼崎市南城内10-2

所有者 個人蔵

指定日 令和4年3月1日

 尼崎城と城下町を克明に描いた縮尺1200分の1の絵図で、尼崎城下絵図の中でも最も正確なものといわれています。また、図の端に「尼崎 番町之所持」と記されていることから、町絵図として城下町町内で持ち回りされて保存されてきたものと考えられます。

 図に書き込みはほとんど見られないものの、寛文4年(1664)に完成した築地町にのみ東西南北の距離や道の長さ、戎社(現在の初嶋大神宮)、網干し場、かつて町の南西隅に「エビス社」(西浜恵比須神社)があったことなどが記されています。また、この絵図の特徴は築地町が造成される以前の砂州も一緒に描き込んでいることで、このことからこの絵図の目的の一つは築地町完成の過程を示すことであったと思われます。

 また、築地町と共に書き込みがあるのが出屋敷で、尼崎藩青山家家臣印南惣兵衛・飯尾惣太夫が奉行となり、寛文9年(1669)5月1日に区画、同月中旬から工事、同月中に完成したことが記され、閉鎖された城下町の旧西門も書き込まれています。

 さらに城郭内に赤く描かれているいくつかの櫓は、寛文4年に新築、移築が許可された櫓であることから、城郭内の赤い施設は同年以降に建てられたものを示しているとみられ、城郭については寛文4年以前の図に、改修後の状況を書き加えていったものであることが分かります。

 尼崎城と城下町は、元和4年(1618)の築城開始以来、築地町を加えた尼崎8町の成立、出屋敷の建設と城郭の改修を以て約50年の歳月をかけて完成しますが、この図はそれらの形成過程を示すと共に、完成を伝える記念すべき一枚といえます。

このページに関するお問い合わせ

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