旧尼崎紡績本社事務所(前ユニチカ記念館)について

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印刷 ページ番号1037840 更新日 2024年4月24日

旧尼崎紡績バナー画像

尼崎紡績の設立

江戸時代は城下町として栄えた尼崎でしたが、幕末・維新期には町は疲弊し経済は停滞していました。このような状況を打破し尼崎の町に再び繁栄を取り戻すため、尼崎の商人や旧尼崎藩士らは、綿糸紡績の大工場を尼崎に設立することを考えました。しかし、尼崎の資本力だけでは大工場設立は不可能でしたので、大阪財界を頼ることとし、両者の共同出資により、明治 22年(1889)尼崎紡績会社が設立されました。尼崎紡績は尼崎町のうち辰巳町(現在の尼崎市東本町)に煉瓦造2階建の大工場を建設し、明治24年(1891)に操業を開始しました。これは兵庫県下では初の1万錘規模の大紡績工場でした

尼崎紡績の発展

尼崎紡績は、技術的に困難とされた細番手・中番手の綿糸生産に主力を注ぎ、他社を合併しながら企業規模を拡大していきました。そして、大正7年(1918)には摂津紡績を合併して社名を大日本紡績と改め、日本最大の紡績会社へと発展していきました。また、この尼崎紡績の成功が契機となり、尼崎南部で工業が発展していくことになりました

尼崎紡績本社事務所の歩みと歴史的意義

尼崎紡績では、明治32年(1899)、尼崎本社工場内に本社事務所を新築することを決定し、翌年、煉瓦造2階建の本 社事務所が竣工しました。昭和20年(1945)の空襲で尼崎工場は大被害を受け、尼崎での綿糸生産は事実上終止符を打ちましたが、旧尼崎紡績本社事務所(旧事務所)は戦災を免れ、昭和34年(1959)から日紡記念館(後にユニチカ記念館)として一般公開されました。旧事務所は、現存する尼崎市内最古の洋風建築物であり、尼崎紡績に関して市内に現存して いる唯一の建築物です。いわば、工業都市尼崎の歩みを象徴するシンボルともいうべき建築物ですので、令和5年(2023)3月、尼崎市が旧事務所を取得し、市民共有の歴史遺産として 保存・活用していくことになりました

このページに関するお問い合わせ

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ファクス番号:06-6489-9800
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ama-rekihakubunka@city.amagasaki.hyogo.jp(文化財担当)
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