尼崎運河の歴史

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印刷 ページ番号1005221 更新日 2018年2月23日

尼崎紡績(大正5年頃撮影、「御大典紀念献上 尼崎市写真帖」より)

尼崎運河がほぼ現在の形に整備されたのは昭和17年ごろ。
それまでは、新田の間を走る水路を運河の代わりとして利用していましたが、昭和9年に運河の造成計画が決定しました。この計画の契機となったのは、明治後半からの臨海部の工業化です。
(写真は尼崎紡績(尼崎市立地域研究史料館所蔵「御大典紀念献上 尼崎市写真帖」大正5年頃撮影)です。)

その後も尼崎市は運河に影から支えられながら、全国有数の工業都市として発展していきます。
しかし、それに伴い、尼崎市では工場の地下水の汲み上げを原因とする地盤沈下が発生し、台風のたびに大きな被害を受けるようになってしまいました。

建設中の尼ロック

その対策として運河の物流機能を維持し、なおかつ高潮や洪水等の浸水被害からまちを守るための閘門(こうもん)式防潮堤が計画されます。
(写真は建設中の防潮堤(尼崎市立地域研究史料館所蔵「市広報課写真アルバム」より)です。)


現在の尼ロック

この閘門式防潮堤は昭和30年に完成し、写真の尼崎閘門は現在では通称「尼ロック」と呼ばれ、日本で一番大きな閘門となっています(写真は空から見た尼ロック(兵庫県提供)です)。

高度成長期を迎えた昭和35年ごろからは、鉄鋼・金属・機械・化学分野の生産が急速に生産を伸ばしていきます。
昭和45年には尼崎市の人口はピークを迎え、約55万人となります。
しかし、この頃になると、地盤沈下や大気汚染や騒音など急速な都市化の弊害が様々な形で表面化し、工業用水道の設置や公害防止協定の締結など、抜本的な公害対策が図られました。

今では運河の水質はすべて環境基準に適合するようになり、市民に親しまれる空間となっています。

では、尼崎運河について尼崎市はどのような取り組みを行っているのでしょうか。

詳しくはこちら。

このページに関するお問い合わせ

都市整備局 土木部 公園計画・21世紀の森担当
〒660-8501 兵庫県尼崎市東七松町1丁目23番1号 本庁北館6階
電話番号:06-6489-6530
ファクス番号:06-6488-8883