「白髪一雄」とは?

ポスト
シェア
LINEで送る

印刷 ページ番号1035148 更新日 2023年11月1日

白髪一雄について

白髪一雄氏の制作風景

 白髪一雄は、大正13年(1924年)尼崎市に生まれ、生涯にわたって地元である尼崎市を愛した、世界的な抽象画家です。

 具体美術協会という、戦後日本の前衛美術の中でも重要な集団に所属していました。


 天井から吊るしたロープにつかまり、床に置いた絵具の上を滑るように素足で描く白髪一雄が追求し続けた独自の技法、「フット・ペインティング」は世界的に高く評価されています。


 その作品のダイナミックさだけでなく新しいことに挑戦し続ける精神、そして地域との深い関わりを持ち続けた白髪一雄は、本市の誇りです。

 

本市の取組

 

 本市はこれまで、白髪氏の作品購入・収集事業を行ってきたほか、傷んだ作品の修復・保存などに取り組んできました。

 現在、具象的な水彩画や初期油彩画、リトグラフなども含め、139点の白髪作品を所有しており、総合文化センターの白髪一雄記念室や白髪発信プロジェクトなどで展示しています。

 また、公益財団法人尼崎市文化振興財団により、白髪氏の創作手法「フット・ペインティング」を学び体験するワークショップが市内の学校園や生涯学習プラザ等で実施されています。

生涯

 大正13年(1924年)8月12日、尼崎市西本町で呉服商「木市呉服店」の長男として生まれる。
 幼少時より絵を描くことが好きで、父親が趣味で描いていた洋画に関心を持つようになる。

 尼崎市立第三小学校(現:明城小学校)に入学。
 その後、新設された市立竹谷小学校に編入して卒業。

 兵庫県立尼崎中学校(現:県立尼崎高等学校)の在学時に絵画部に入ったことが画家を目指すきっかけとなり、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に進学して日本画を学んだ。

 京都市立美術専門学校(昭和20年、1945年改称)を卒業後、洋画に転向して風景や人物画を描き始めたが、既存の絵画に飽き足らず、天井から吊るしたロープにつかまり、床に広げたキャンバスの上に絵具を置いて縦横無尽に足で描くフット・ペインティングという独自の方法を編み出し、国際的に高い評価を得た。

 画家・吉原治良をリーダーとする前衛芸術グループ「具体美術協会」では結成翌年の昭和30年(1955年)に会員となり解散する昭和47年(1972年)まで中心的なメンバーのひとりとして活躍した。

 生まれ育った尼崎をこよなく愛し、芸術文化の発展に力を尽くした。
 尼崎市民芸術賞、兵庫県文化賞、文部大臣文化功労者表彰など受賞多数。平成20年(2008年)、尼崎市にて逝去。

このページに関するお問い合わせ

総合政策局 協働部 文化振興課
〒660-8501 兵庫県尼崎市東七松町1丁目23番1号 本庁中館7階
電話番号:06-6489-6385
ファクス番号:06-6489-6702
メールアドレス: ama-art@city.amagasaki.hyogo.jp