尼崎市100年のあゆみ(市報あまがさき平成28年1月号掲載)

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ページ番号1007193 更新日 平成30年2月21日

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大正5年の市制施行により誕生した尼崎市は、平成28年、市制100周年を迎えます。ここでは、本市の100年の歴史を振り返ります。

  • 大正5(1916)年 尼崎町と、立花村のうち東難波・西難波の区域が合併し、尼崎市が設置される
  • 大正7(1918)年 神崎水源地が完成し、上水道の給水を開始
  • 大正9(1920)年 阪神急行電鉄の神戸線と伊丹線が開通
  • 大正10(1921)年 阪神電鉄が、現在の東浜町に火力発電所を設置
  • 大正11(1922)年 市役所の新庁舎が南城内に完成
  • 昭和元(1926)年 阪神国道(現在の国道2号)が開通
  • 昭和7(1932)年 尼宝線(当時は有料道路)が開通
  • 昭和8(1933)年 県道尼崎・池田線(産業道路)が完成
  • 昭和9(1934)年 室戸台風が来襲。市域の約3分の2に浸水被害があった。これにより運河の整備などが実施された
  • 昭和11(1936)年 小田村と合併
  • 昭和16(1941)年 太平洋戦争開戦
  • 昭和17(1942)年 大庄・立花・武庫村と合併
  • 昭和20(1945)年 太平洋戦争終戦
  • 昭和22(1947)年 園田村と合併
  • 昭和23(1948)年 警察署・消防本部・消防署・消防団本部を設置※市営バスが運行を開始
  • 昭和25(1950)年 ジェーン台風が来襲。死者22人、床上浸 水1万8679戸などの被害を出す。防潮堤の建設に向けての取り組みが始まる
  • 昭和27(1952)年 競艇場で第1回市営レースを開催
  • 昭和29(1954)年 防潮堤の閘門(こうもん)が完成・産業博覧会を開催
  • 昭和34(1959)年 ドイツ・アウクスブルク市と姉妹都市提携
  • 昭和37(1962)年 現在の場所に市庁舎が完成
  • 昭和38(1963)年 国道43号が開通
  • 昭和40(1965)年 田能遺跡の発掘が始まる
  • 昭和45(1970)年 尼崎市の人口が55万人を超え最多に
  • 昭和47(1972)年 第1回市民まつりを開催
  • 昭和58(1983)年 中国・鞍山(あんざん)市と友好都市提携
  • 平成6(1994)年 阪神高速湾岸線が開通
  • 平成7(1995)年 阪神・淡路大震災が発生
  • 平成8(1996)年 エフエムあまがさきが放送を開始
  • 平成9(1997)年 JR東西線(尼崎・京橋間)が開通
  • 平成16(2004)年 そろばん特区に認定
  • 平成17(2005)年 JR宝塚線で脱線事故が発生
  • 平成18(2006)年 のじぎく兵庫国体とのじぎく兵庫大会を開催
  • 平成21(2009)年 中核市に移行
  • 平成25(2013)年 環境モデル都市に選定
  • 平成28(2016)年 市制100周年 

まちの軌跡~弥生から現代、そして未来へ~

尼崎市域に人が住み始めたのは、弥生時代からだと考えられています。「あま」は漁民、「さき」は岬を表すという地名の由来にみられるように、尼崎は海辺のまちとして始まりました。各時代、海上・陸上交通の要衝となり、産業が発達し、多くの人が住む都市となった軌跡を顧みます。

舟が重要な交通手段だった古代から中世にかけて、都(京都)と西国を結ぶ神崎川の河口に近い中継地として神崎・大物・尼崎などの港町が生まれました。この辺りには、近世まで、瀬戸内の魚が集まり、商いで繁栄しました。戦国時代には、尼崎城や富松城などが築かれ、軍事上、重要な位置を占め、1617年、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)が四層の天守を持つ新たな尼崎城を築城すると、城下町としてにぎわいました。
明治維新で尼崎城は廃城になり、一時期、活気を失いましたが、明治7年、大阪・神戸間に官営鉄道が敷かれ、神崎駅(現在のJR尼崎駅)が開設されると、再びにぎわいを取り戻しました。
その後は陸上交通も発達していきます。明治38年には、大阪・神戸間に阪神電車が開通し、12分おきに運行していたことなどから、多くの人が利用しました。阪神尼崎駅の南東には阪神電鉄尼崎発電所が建設されるなど、まちの工業化が進みました。
大正9年には、大阪・神戸間と塚口・伊丹間に阪急電車が開通し、田園地帯だった北部が住宅街へと整備されていきました。
また、昭和に入ると、阪神国道(現在の国道2号)が開通したのを皮切りに、関西初の自動車専用道路である尼宝線が、高度成長期には国道43号や名神高速が開通し、より多くの工場や物流拠点が立地するまちになりました。
平成25年には国から環境モデル都市に選定され、環境と産業の共生・地域経済の好循環を目指したまちづくりが進められています。

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大正14年ごろに撮影された東浜新田(現在の東浜町)にあった日本電力尼崎火力発電所の発電機室
写真3
昭和30年ごろに撮影された玉江橋付近の阪神国道。自動車の普及が進み交通量が増大したため、交通渋滞が発生した
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昭和41年に撮影された名神町1~3丁目付近の名神高速。39年に尼崎・西宮間が開通した

伝えたいまちの記憶

市制100周年を記念し、市民を代表して100歳を超えたお二人に尼崎の思い出を伺いました。

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倉川清重さん (武庫の里在住 106歳〈市内男性で最高齢〉)

30年ほど前、子どものそばで暮らしたいと考え、尼崎に引っ越してきました。当時と比べて現在は道路が広くなり、まちも整備されてきれいになってうれしく思っています。
尼崎は交通がとても便利なまちですね。特に、坂がないので、よく西武庫公園まで散歩に行ったり、自転車で近くのスーパーまで買い物に行ったりしたものです。

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鈴木利八(りはち)さん (上ノ島町在住 104歳)

70年ほど前、大阪に転勤になり、尼崎に越してきました。当時は、住宅が少なく、阪急電車が走る様子や富松神社が自宅から見え、田園地帯が広がっていました。現在は開発が進み、当時の面影があまりないですね。
現在、高田公園がある場所やその近所にはいくつかの大きな池があり、魚を釣ったり、大きな貝を採ったりしたことが懐かしい思い出です。
自宅の前の道路で近所の子どもたちがラジオ体操をしていたことも記憶に残っています。

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昭和初期のラジオ体操の様子(鈴木さん提供)

大正5年4月1日、尼崎町と立花村の一部が合併し、「尼崎市」が誕生しました。また、昭和11年、尼崎市と小田村が合併し、10月8日に祝賀式などを行ったことを記念し、同日を市制記念日としていることから、本市では、平成28年10月8日を100周年記念日と定めています

編集後記

今回取材に伺った、倉川さん、鈴木さんは、100歳を超えておられるなんて信じられないほどお若いお2人でした。お肌も私よりつやつやなくらいですし、昔のことも鮮明に記憶されていて、当時の尼崎の様子など面白いお話をたくさん聞かせていただきました。

市内男性最高齢の倉川さんに長生きの秘訣をお聞きしたところ、長年、武庫の里のご自宅から西武庫公園までの散歩を毎年続けていたことかもしれないとおっしゃっていました。103歳まで、近くのスーパーまで自転車で買い物にも行かれていたそうです。

お2人とも、感謝、感謝のお人柄で、お世話をされている娘さんもとても笑顔の素敵な親切な方々でした。長生きの秘訣というのは、案外そういうところかもしれないと感じた一日でした。

(担当N) 

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