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Vol.1(平成13年9月27日) 東大寺領猪名荘(いなのしょう)の位置確定!?

猪名荘-都市尼崎のルーツ

摂津職河辺郡猪名所地図

 尼崎の歴史に関心のある皆さんなら、猪名荘という荘園の名前を聞かれたことがあるのでは?

 756年(天平勝宝8)に成立した東大寺の荘園で、神崎川河口の海岸部に堤防を築き、徐々に耕地を開発していった荘園でした。のちに、この猪名荘の南に長洲(ながす)、大物(だいもつ)、尼崎といった港町が築かれ、京の都と瀬戸内・西国方面を結ぶ、神崎川河口の要地として栄えていきます。

 そういう意味で、都市尼崎のルーツとも言えるのが、この猪名荘です。阪神・淡路大震災後、JR尼崎駅北側の再開発事業にともなって、奈良時代から鎌倉時代にかけての掘立柱建物跡をはじめとする貴重な遺構・遺跡が発掘され、大きな話題を呼んだことでも知られています。

写真:摂津職河辺郡猪名所地図(尼崎市教育委員会所蔵)

猪名荘の位置

 ところでこの猪名荘は、現在の地図で言うと、正確にはどの位置にあったのでしょうか?

 猪名荘については、「猪名庄絵図」あるいは「猪名庄荘図」と呼ばれる荘園絵図(尼崎市指定文化財、正式名称は「摂津職河辺郡猪名所地図」)が残されており、この絵図を手がかりに、位置比定についての論争が昔から続けられてきました。

現在の地図上に復原された、東大寺領猪名庄の位置

現在の地図上に復原された、東大寺領猪名庄の位置
(『地域史研究』第31巻第1号掲載、浅岡論文より)

 この論争に決着をつけるのではないかと期待されているのが、今回、尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第31巻第1号(平成13年8月発行)に掲載された、浅岡俊夫さんの論文「東大寺領猪名庄の位置とミヤケ開発」です。考古学が専門の浅岡さんは、従来の研究が絵図に描かれた条里(古代において、国家によって行なわれた耕地の区画割)を手がかりに猪名荘の位置を推定していたのに対して、明治~大正期の地形図などを詳細に検討し、近代にいたるまで残っていた地理的な痕跡を手がかりに、発掘調査の成果などとも照らし合わせて、新たな位置比定を試みました。

 その結果、JR尼崎駅付近を中心に、東の神崎川から西の庄下川(しょうげがわ)にかけて広がっていた猪名荘の位置が、現在の地図の上に復原されました。

 この復原位置が正しいとすると、猪名荘は従来考えられていた位置に対して、条里の上で西に1坪分(約109メートル)、南へ半坪分ずれ、さらに東南方向に5~6度傾いた範囲にあったと考えられています。

今後への期待

 さらに浅岡さんは今回の論文のなかで、位置比定に加えて、猪名荘をはじめとする現尼崎市域の土地形成の地理的メカニズムや、荘園開発に到る歴史的背景と意義についても論じています。こういった点でも、今後の研究に大きな一石を投じたものと言えるでしょう。

 足もとに隠されていた古代・中世の歴史遺産として、地元からも注目を集めている猪名荘。浅岡さんの研究が、市民の皆さんの歴史への関心を呼び起こし、ひいては今後のまちづくりにも寄与していくことが期待されます。

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