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わたしのまちのここが好き50選集

 ここに集められた作品は、中央地区内の「わたしのまちのここが好き」をテーマに応募された中から50選集として収めたものです。

橘通り(西難波町)

 尼崎市政70周年記念事業で街路緑地として整備されました。歩道の幅は4メートルから広いところでは10メートルあり、街路樹が2列に植えられ、延長1,300メートルの林間の歩道となっています。
 車道には移動可能な花壇を置き四季の花が目を楽しませてくれます。

橘通り

コミュニティ道路(東難波町)

コミュニティ道路

公園・広場

大物川緑地(大物町)

 春には桜を見ながら散策が楽しめます。
 また、謡曲「船弁慶」で、源義経と静御前の別れの場として登場することで有名です。毎年8月には野外能舞台で「尼崎薪能」が開かれます。

大物川緑地

北難波公園(東難波町)

北難波公園

城址公園と中央図書館(北城内)

 江戸時代、この辺りは大坂の西の固めとして築かれた尼崎城があり、城下町としての姿を見せていました。
 現在は池や石垣、遊歩道などからなる城址公園が整備されていて当時の面影をしのぶことができます。
 公園の隣にある中央図書館は、絵本から専門書まで約30万冊を収蔵しています。

城址公園

中央公園2階広場(神田中通)

 噴水や大きな花壇などがあり、駅前から2階の人工地盤上にかけて整備された阪神尼崎駅前のオアシスです。緑の相談所では花や緑の展示会や講習会を開いています。

中央公園二階

東部浄化センター屋上広場(西松島町)

 東部浄化センターは、尼崎市南東部地区の東部処理区を下水処理区域に受け持つ下水処理場です。
 昭和57年10月に供用開始し、平成13年4月には施設が増設され、同じ処理区内にある東部第2浄化センター(現在:東部雨水ポンプ場)を統合しました。
 屋上広場には、芝生広場、景観広場、テニスコート、健康広場などがあります。

東部浄化センター屋上広場

東部浄化センターせせらぎの水路(西松島町)

東部浄化センターせせらぎの水路

水辺

東堀運河(北初島町)

 尼崎市には西堀、北堀、中堀、東堀の4運河があります。運河は幅30から40メートルで総延長5.61キロ。この運河や水路を活用して水と親しめる場面づくりをする「リフレッシュポートあまがさき」事業を県が進めており、尼崎独特の美しい景観がうまれています。

東堀運河

蓬川(西難波町)

 蓬川の両岸にはソメイヨシノが植えられ、サクラの季節には大勢の人たちが花見に興じ、散策します。特に国道2号線から南の左岸には道路をはさんでサクラ並木が美しい花のトンネルをつくります。

蓬川

庄下川(昭和通)

 庄下川は猪名川、伊丹市の昆陽池、武庫川の六樋などを水源とし、尼崎市の中央を南北に貫いて流れています。昭和30年代の急速な工業化とともに汚染が進みましたが、昭和63年(1988年)国の「ふるさとの川モデル河川」に指定され、さらに平成4年度から6年度、水質浄化短期対策事業に取り組み、魚の泳ぐ川に生まれ変わりました。

庄下川

庄下川右岸(東難波町)

庄下川右岸

庄下川護岸噴水(東難波町)

庄下川護岸噴水

まちかど

寺町周辺(寺町)

 元和元年(1618年)、尼崎城の築城に際して、中世以来の寺を集中させました。現在は11か寺(東から全昌寺、本興寺、廣徳寺、常楽寺、甘露寺、善通寺、法園寺、大覚寺、長遠寺、如来院、専念寺)あり、隣接する民家とともに旧城下町の町並みをもっともよく伝えています。平成元年(1989年)、市の都市美形成地域に指定されました。

寺町周辺

阪神尼崎駅前のタワーマンションと立体遊歩道(西大物町)

阪神尼崎駅前タワーマンション

立体遊歩道(昭和通)

立体遊歩道

城址公園の白壁(北城内)

城址公園の白壁

三和本通商店街(神田南通)

 阪神尼崎駅と出屋敷駅との間約1キロにわたって、古くから安さが自慢の小売市場や個性的な商店街が広がっています(中央・三和・出屋敷商店街)。
 尼崎市はもとより阪神間でも最大の商業地域であり、ここを中心に飲み屋街やビジネス街が広く立地しています。

三和本通商店街

三和本通商店街北入口(昭和通)

三和本通商店街北入口

三和本通商店街南入口(建家町)

三和本通商店街南入口

中央商店街(神田中通)

中央商店街

まちかどトイレ(西難波町)

まちかどトイレ

施設・建物

サンシビック尼崎【中央地区会館】(西御園町)

 サンシビック尼崎は、人々が気軽に集える施設の名称のもとに御園小学校跡地に、スポーツ&コミュニティー発信基地として1983年にオープンしました。
 施設は、プール・会館・体育館が複合する施設です。

サンシビック尼崎

防災センターと中小企業センター(昭和通)

 防災センターは消防署と併設され、普段は市民の皆さんに防災についての知識や技術を身につけていただき、災害時には応急活動の拠点となる施設です。震度7までの地震が体験できる地震体験装置や、消火器の練習できる消火器シミュレーションなどがあり、楽しみながら防災の知識と技術を習得することができます。
 中小企業センターでは、地域産業の振興を目指し、各種相談や展示会・講演会の開催など中小企業に対してさまざまな支援を実施しています。

防災センター

中央公民館(西難波町)

 公民館は市民のみなさまに、さまざまなことをまなぶ場を提供し、地域活動の拠点として活用していただく施設です。

中央公民館

総合老人福祉センター(東難波町)

 総合老人福祉センターは、60歳以上の地域の高齢者の皆さんからの各種相談に応じたり、健康の増進、教養の向上、レクリエーション等の様々な事業を行いながら、互いに協力し、健康で明るく楽しいひとときを過ごしていただく施設です。

総合老人福祉センター

労働福祉会館(東難波町)

 労働福祉会館は勤労者の福祉の増進と文化教養の向上を目的とした施設です。集会やグループ活動に利用できます。 また、陶芸教室、ステンドグラス教室等も実施しています。

労働福祉会館

明城小学校(南城内)

 明城小学校は、学制発布と共に開校した「開明小学校」と「城内小学校」の2つの学校を統合し、平成16年4月1日、旧城内小学校の地に開校した学校です。
 開明小学校は旧尼崎藩藩校正業館を前身にもち、寺町や旧中央商店街をかかえた校区であり、城内小学校は旧尼崎城の中心に位置し、明治から商業・工業・漁業が栄えた活気あふれた校区でした。

明城小学校

尼崎南警察署(昭和通)

 平成18年年4月、尼崎中央警察署と尼崎西警察署が統合され、旧中央署を本庁舎として尼崎南警察署が設置されました。旧西署は尼崎南警察署西分庁舎となりました。

尼崎南警察署

尼崎郵便局(昭和通)

尼崎郵便局

阪神電鉄尼崎車庫(北城内)

 阪神電鉄は明治38年(1905年)に開業、明治41年(1908年)には配電事業も開始しました。その尼崎火力発電所の建物が尼崎車庫の一角に残っています。
 風格を感じさせるイギリス積のレンガ組石造の外観は建設当時のままで、今は資材倉庫として使われています。

阪神電鉄尼崎車庫

ユニチカ記念館(東本町)

 ユニチカの前身である尼崎紡績株式会社が明治33年(1900年)本社事務所として竣工した建物を修復して記念館としたもの。英国式レンガ造りや上下開閉式のアーチ型の窓など風格のある外観もみどころの一つです。日本の紡績産業の変遷を知るうえでも価値ある資料が多数展示されています。利用時間は毎週水曜日午前10時~12時、午後1時~3時、観覧は無料です。

ユニチカ記念館

尼崎信用金庫本店(開明町)

尼崎信用金庫本店

尼信博物館と尼信会館(開明町)

 尼信博物館には重要文化財「太刀銘守家(たちめいもりいえ)」など江戸時代の歴史的資料を展示する「城下町尼崎展」コーナーと世界170カ国の金貨銀貨2,500枚が見られるコインミュージアムがあります。  

 尼信会館は大正10年(1921年)、有限責任尼崎信用組合が創設した際の本店事務所です。
 戦後間もない時期から尼崎信用金庫の記念館になり昭和47年(1972年)の新本店建築の際に現在地に移されました。石造りのマントルピース、飾り鏡、分銅とロープと滑車を使った特殊構造の上下開閉式窓などに当時をしのぶことができます。

尼信博物館

出屋敷リベル(竹谷町)

 出屋敷リベルは尼崎市の中心的商業集積地区である中央・三和・出屋敷地区の西の端に位置します。駅の改札を出てすぐ目の前にあるビルは建物断面が直角三角形となる独特の形で、南側が高層住宅、1~3階と地下1階は店舗、4階、5階は駐車場となっています。

出屋敷リベル

モニュメント

総合文化センター前庭「石鏡」(昭和通)

総合文化センター前庭

旧中国街道の道しるべ(西本町)

 出屋敷の町場の北端、曲がり角に立っています。竹谷から東進すると「右大坂道」、出屋敷の町場から北上すると「左西ノ宮 兵庫」と彫られた文字が読み取れます。

旧中国街道の道しるべ

熊野神社「梅の石碑」(西難波町)

熊野神社「梅の石碑」

尼崎産業高校「阪神タイガース村山実の銅像」(東難波町)

 プロ野球・阪神タイガースの元監督で往時の名投手。ザトペック投法と呼ばれたフォームから繰り出すフォークボールを武器に通算勝利数は222を数えました。昭和生まれの大学卒業投手では唯一の200勝投手です。
 平成10年、直腸ガンで死去。平成16年に母校にあたる市立尼崎産業高等学校に銅像が建てられました。

尼崎産業高校「阪神タイガース村山実の銅像」

寺社

全昌寺【ぜんしょうじ】(寺町)

 寺町にある曹洞宗・總光寺末の寺院。山号は桃源山。『尼崎志』の引く大垣全昌寺の寺記などによれば、同寺は戸田氏の膳所在城時代に桃源院徳応全昌居士(俗名戸田甚五郎)が同地に開基、1617年(元和3)戸田氏鉄尼崎入封に随伴して雪山呑秀が寺町に中興開基、1635年(寛永12)氏鉄の大垣転封とともに同名の寺院が大垣にも建立されました。檀家には、旧尼崎藩松平氏家臣の家が多くあります。

全昌寺

本興寺【ほんこうじ】(寺町)

 寺町にある法華宗(本門流)の大本山、1420年(応永27)日隆上人が開基しました。京都本能寺とならんで法華宗の大寺であった同寺は、中世から広い寺域をかまえ繁栄したものと推測されます。
 近世尼崎城築城にともない、城地にあった本興寺は1617年(元和3)に寺町に移転したと考えられています。現在も市域の寺院のなかでは最大の規模を誇り、日蓮上人の戒刀と伝えられる数珠丸恒次や、日隆上人坐像をはじめ建物・石像遺品など数々の文化財を今に伝えています。

本興寺

光明寺【こうみょうじ】(西難波町)

光明寺

法輪寺【ほうりんじ】(西難波町)

法輪寺

八幡神社【はちまんじんじゃ】(東難波町)

八幡神社

熊野神社【くまのじんじゃ】(西難波町)

熊野神社

貴布禰神社【きふねじんじゃ】(西本町)

 貴布禰神社の正確な創建時代は不明ですが、中世以降には尼崎城主の篤い崇敬を受けた尼崎を代表する神社です。京都鞍馬の貴船神社と同じ神をまつり、古くから雨乞いの神事がたびたび行われたといいます。例年8月1日と2日に夏季大祭が開かれ、勇壮なだんじりも繰り出します。

貴布禰神社

戎神社【えびすじんじゃ】(神田南通)

戎神社

大物主神社【おおものぬしじんじゃ】(大物町)

 市内最古の神社。平安時代中期、平清盛が安芸厳島神社参詣の際に当地を訪れ、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)の分霊を勧靖したとされています。
 兄の源頼朝と対立した義経が、弁慶などの家臣とともに京都から大物に逃れてきた隠れ家があったといわれ、その石碑があります。このとき義経は大物の浦から船で九州に逃れようとしましたが、大風に見舞われ和泉から吉野の奥へ落ちのびました。

大物主神社

櫻井神社【さくらいじんじゃ】(南城内)

 初代櫻井信定(のぶさだ)より16代忠興(ただおき)までの歴代城主を祭神として、明治15年に旧尼崎城本丸付近に建立されましたが、国道43号線工事に伴い、現在の地(西三の丸跡)に遷座(せんざ)されました。
 境内には、旧尼崎城天守閣の棟瓦(むねがわら)、 巽櫓(たつみやぐら)の鯱瓦(しゃちがわら)、外濠(そとぼり)の橋杭(はしくい)に刻まれた12代城主櫻井忠告(ただつぐ)の句碑(まづ霞(かす)む竈々(かまどかまど)や 民の春)とその礎石等が保存されています。

櫻井神社

初嶋大神宮【はつしまだいじんぐう】(築地)

 築地南浜1丁目にある築地町の氏神です。近世には初嶋太神宮と称しました。『尼崎志』は、正和年間(1312~1317)に近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祭られ、のち別所町と別所村に分社、うち別所町南浜(現東本町4丁目)の初島恵比須が築地開発にともない1666年(寛文6)現在地に移り、享保年間(1716~1736)ころ初嶋太神宮と改称、また別所村の分社が現戎神社であるとしています。
 現在の祭神は天照大神〔あまてらすおおみかみ〕・事代主命・応神天皇・蛭子命〔ひるこのみこと〕です。

初嶋神社

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市民協働局 中央地域振興センター

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