軽工業から機械金属や化学など重化学工業へシフト

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ページ番号1006245 更新日 平成30年2月21日

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重化学工業への初期段階では、旭硝子が中在家町に本店を設置し、その後の1914年の第一次世界大戦による好景気も影響して、古河電気工業、久保田鉄工所(現クボタ)、関西ペイント、麒麟麦酒、大日本セルロイド(現ダイセル)、住友伸銅所(現住友金属工業)、日本スピンドル、塩野義商店(現塩野義製薬)など多くの大工場が臨海部や神崎川流域に立地し、尼崎の工業は紡績などの軽工業中心の構造から、鉄鋼や化学など重化学工業中心の構造へと変化していきました。
大工場が立地した要因には、(1)大阪との隣接、(2)豊富で安価な用地、用水事情、(3)瀬戸内海運の利用の三点が挙げられますが、特に当時のエネルギー源は石炭が中心であり、宇部や筑豊の炭田から瀬戸内海運を通じて、尼崎で陸揚げできたことが大きな要因となっていました。

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