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戸ノ内の紹介

地理

 園田地区の大字。市域東部、かつて猪名川と神埼川の合流地点の北、猪名川西岸、猪名川と藻川の間に位置していたが、猪名川改修工事により流路が変わり、現在では 猪名川東岸となった。
(『尼崎地域史事典』より)

地名の由来

  武士の居住地を意味すると考えられる殿ノ内(とのうち)という小字があるので、戸ノ内もこれに由来すると考えられる。
(『尼崎地域史事典』より)

治田寺(じでんじ)

戸ノ内町2-4-11、市バス「戸の内2丁目」東南約250メートル
 真言宗の寺院。寺伝によれば聖武天皇の勅許を得た行基が当地の霊木を自ら刻み本尊の薬師如来を造仏し、治田寺と号したと伝えられています。阿弥陀如来坐像(県指定文化財)は、檜材の寄せ木造り、像高138センチメートルの平安時代末期の仏像です。本堂の十一面観音菩薩立像(市指定文化財)は、高さ100センチメートルの一木造です。温雅な面相から平安時代後期の作と推定されています。なお、県指定文化財の阿弥陀如来坐像は昭和63年に京都美術院で保存修理が行われました。
(尼崎教育委員会『尼崎の史跡・文化財案内』より)


阿弥陀如来像
尼崎市立地域研究史料館提供
樫本正巳氏撮影

阿弥陀如来像の画像

モスリン紡織戸之内工場

 1896年(明治29)山岡順太郎・滝内竹男らによって大阪に資本金100万円の毛斯綸紡織(株)が設立された。同社は関西の有力なモスリン会社として発展し、1917年(大正6)には700万円に増資した。'23年園田村戸之内に工場を設立、神崎川対岸の加島へ通ずるモスリン大橋を建設し村に寄付した。
 このころは日本毛織につぐ全国第2位のモスリン会社であったが、'27年(昭和2)不況のなかで減資整理に入り、東京毛織(株)と合併して合同毛織(株)となった。しかし同社も'29年倒産し、その再建会社として'36年毛織工業(株)が設立され合同毛織の設備をもって鐘紡(株)が経営を受託したが、'41年鐘紡が買収合併した。
 鐘紡は戦時下の要請によって同年日本国際航空工業(株)を設立、買収した合同毛織の戸之内工場を同社の航空機工場に転換すべく同年11月大阪機工加島工場の航空機部門の設備を譲りうけ、戸之内工場は、日本国際航空工業神埼製作所として発動機その他航空機の部品製造を開始した。しかし、空襲によって同工場は焼失し、戦後そのあと地は住宅用地などに売却された。
(『尼崎地域史事典』より)

関連情報

情報の発信元

都市整備局 下水道部 北部浄化センター

〒661-0953 兵庫県尼崎市東園田町7丁目82番地 北部浄化センター

電話番号
06-6499-4515
ファックス
06-6493-5650

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