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人権コラム1

“人種”と知的能力「知能テスト」の“科学性”

人種主義に利用された学問的研究

白色系人種が最も優秀であるということを証明する客観的・科学的データーとして、「知能テスト」が利用されました。1905年、私たちにも馴染みのある「知能テスト」をはじめて開発したフランスのアルフレッド・ビネーは、もともとは知能の発達が遅れている子どもたちのために「知能」の発達の程度を一定の操作によって数量 化できる「テスト」の様式として考案したのですが、この「知能テスト」は“人種主義”を信奉する人びとを喜ばせることになりました。なぜなら、「知能テスト」の結果 、算出された“知能指数(I.Q.)”は、比較可能な数字として示されていますから、黄色系や黒色系の人種の知能が白色系人種より劣っていることを“科学的”に証明することができるからです。しかし、一見“客観的”・“科学的”とみられるテストが、文化や価値観の異なるグループ―ここでは人種―を対象として実施される場合には、次のような限界があることに、私たちは十分に注意する必要があります。すなわち、

(1)比較のためテストを受けるそれぞれのグループのメンバーたちが、「知能テスト」のようなテストに馴れているかどうか、によって、結果 はかなり異なってくるということ(例えば、 高学歴志向・受験地獄のようなわが国におけるテスト馴れした生徒たちと、ほとんどテストなど受けたこともない地域や国の少年・少女たちとを想定してください)。

(2)「知能テスト」にかぎらず、たいていの場合、テストは“競争的心構え”―他の人びとよりも少しでも早く正確に問題を解くこと―が要求されますが、文化や価値観の異なるグループでは、テストを受ける子どもはなぜそんなに“急いで”、他人を押し除けてでも先へ進まなければならないのかが理解できないかもしれません。L.ブルームは、南アフリカやアメリカ合衆国の事例をあげて、「学力が向上するということが賞賛に値するということを示す成功のモデルの欠如の影響、また利用できる職業上の機会と教育上の機会への無知」という点を指摘しています〔L.ブルーム『人種差別 の神話』27~29頁〕。

(3)テストに対する評価・価値観 
あるグループの子どもたちは、テストに対して真面目に、全力を注ぎ込むことを受け入れるでしょうが、テストに対してそれほど真剣に立ち向かう理由を理解できないグループの子どもたちもいるでしょう。この「動機づけ」という点についても、L.ブルームは、テストを受けるすべての子どもたちが、等しくテストに興味をもつべきであるとか、等しく自分のベストを尽くすことに関心を払うべきだとかいう理由は見当たらない、として、「たとえば、ホピー族の子どもたちは、かれらの文化が競争ということを禁止しているので、テストに悪い点をとる。つまり、もしあなたがよい点をとると、あなたの友人が恥をかくではないかという習慣があるのである」という事例を紹介しています〔L.ブルーム:前掲書 29頁〕。

(4)テストを受ける条件―例えば、試験場の雰囲気や子どもの教育的環境など―が異なっているかもしれません(例えば、子どもの学習意欲を高めるためにできるかぎりの配慮を惜しまない現在のわが国の親たちと、“差別 のなかの貧困”という生活条件のもとで、“家業の手伝い”や“子守奉公”など、子どもの“稼ぎ”を期待せざるを得ないなど、義務教育さえ満足に受けさせられなかったかつての被差別 部落の子どもたちとでは、テストや勉強にどれだけ集中できるかという点でに大きな差が生じることは明白でしょう)。

(5)ことばを媒介して行われる「知能テスト」においては、ことば―例えば、英語―を自由に、なに不自由なく駆使できるかどうかによって、当然テストの結果 は異なってくるでしょう。

(6)「知能テスト」の問題は、ヨーロッパやアメリカなどの、 とりわけ、都市的な文明社会の生活様式や価値観にもとづいてつくられています。いいかえれば、文化にしばられたものです。したがって、日常の生活様式や生活体験が異なる子どもたちにとっては、出題されている問題に対する“親近感”がまったく異なるかもしれません。

といったさまざまな限界や条件を考慮する必要があるわけです。今日では、少なくとも文化や価値観を異にするグループのテストから得られた結果 について、とても注意深く扱われており、安易に比較するといったことはありません。

しかし、“白人至上主義”という教義(ドグマ)に毒されていた“人種主義”者たちは、ビネーが開発した「知能テスト」を悪用しようとしたのです。「知能テスト」の結果 によって、白人と黒人の知能の違いを“科学的に”証明できる、とした“人種主義”者たちの主張に対して、アメリカの心理学者や教育学者たちが、1920年代~1930年代を通 じて挑戦をした研究の一例を、次に紹介しておきましょう。

  1933年にプレッシーという学者がケンタッキーの山奥の白人集落で、アメリカ版のビネー式「知能テスト」を使ってみました。そのなかに、「君がお父さんから10セントもらったとしよう。君はそれをもってアメを買いに行った。アメは6セント、あと何セント残っているだろう?」。すると、テストを受けた少年の一人は、「僕は10セントももらったことないよ。もし、10セントももらったら、アメなんか買うものか」と答えた。プレッシーは慌てて、「じゃ、君はお父さんから言いつけられて、牛を10頭つれて草を食べさせにでかけたとしよう。ところが、6頭が逃げてしまった。家につれて帰った牛は何頭だったかな?」と聞きなおした。その少年は、「冗談じゃないぜ。6頭も牛を逃してしまったら、オヤジが恐くて、家になんか帰れないよ」。「では、君のクラスに10人生徒がいたとしよう。6人がハシカで休んだ。何人が学校に来ていると思う?」。「誰も来てないよ。ハシカがうつっちゃうじゃないか」〔新保満『人種的差別 と偏見』(岩波新書) 22~23頁〕

 プレッシャーのこの調査は、テストを構成している質問群には、特定の国や地域やグループの“文化”や価値観が滲みとおっていること、したがって、テストを受ける側に、例えば、似たような経験がなければ、同じ前提条件や考え方・価値観の感化を受けていない人びとにとっては、質問自体が“よそごと”であり、不公平であり、正しい解答を必ずしも期待できないことを示しているわけです。この少年は、10-6=4という計算ができなかったのではなく、心理学者が“仮定した”状態を経験したことがなかったため、テストにうまく答えられなかったのです。  したがって、異なった文化や価値観をもつグループの間の差異を比較・証明しようとするならば、「絶対に文化に無関係な」テストをするべきだ、ということになりますし、例えば、子どもに人間の絵を書かせるような簡単な、「文化に無関係なテストであればあるほど、グループ間の差異は小さく現れるようになる」と、オールポートは指摘しています。 【参考文献】G.W.オールポート著『偏見の心理』(培風館)

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