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近松の里 散策コース

 近松の里の散策コースをご紹介します。

近松散策コース1

散策コース1

 

<近松散策コース1>
JR尼崎駅→梅川の像→小園公民館(近松辞世文:句碑)→伊居太神社→モニュメント明日への指標→近松公園→近松記念館→広済寺(近松の墓所)→須佐男神社→伊佐具神社→JR塚口駅

 

近松散策コース2

散策コース2

 

<近松散策コース2>
阪急塚口駅(モニュメント近松断章)→ピッコロシアター→上坂部公園(モニュメント近松へのオマージュ)→JR塚口駅→伊佐具神社→近松公園→近松記念館→広済寺(近松の墓所)→須佐男神社→モニュメント明日への指標→伊居太神社→小園公民館(近松辞世文:句碑)→阪神バス「近松公園」→JR尼崎駅(モニュメント梅川の像)


 

みどころ解説

<須佐男神社>
  957年、村上天皇の御世に、多田満仲公の勧請により建立されたと伝えられ、神社境内は、江戸時代の『摂津名所図会』にも紹介されています。 江戸時代は妙見菩薩を本尊とする「久々知の妙見さん」の名で多くの参拝客を集めていたとのことです。
  平安中期の武将・源満仲が「汝に鏑矢を授ける故、矢の行きつく所に汝住むべし」と住吉明神の神託をうけ、境内にある石に足をかけ踏んばり、矢に文を結び付け放ったと伝えられる矢文石があります。

 
<伊佐具神社>
  延喜式に名を列ねる式内社(神名帳に平安期の由緒ある神社名をあげている)に記された摂津国川辺郡七座の第1に載録されている神社で、この神社は尼崎市内で唯一の式内社という格式ある神社です。
  また、この地域一帯は、1333年の元弘の変で、後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりの所で、境内には、円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。

 
<伊居太神社>
  豊かな鎮守の森を容する伊居太神社の境内は、規模の大きな前方後円墳(伊居太古墳)で、弥生時代以来の集落があったところとみられます。こうした氏族祖神の墳墓の上に神社を建てる形は、市内では他に水堂須佐男神社(水堂古墳)、南清水素盞鳴神社(南清水古墳)などがあります。
  平成に新しい伊居太神社本殿が建立されました。

 
<伊居太古墳>  
  伊居太神社の社殿築造のために、原形は著しく失われていますが、南に面する巨大な前方後円墳とみられ、恐らく尼崎の地域を支配した豪族の奥津城であったと思われます。
古墳の規模は全長約92メートル、後円部径約53メートル、後円部の高さ約3メートル、前方部幅約46メートル、周濠幅約20メートルを測り、市内に遺存する最大の古墳といえます。築造は古墳時代中期(5世紀ごろ)と考えられています。前方部西南には、陪塚と思われるサムライ塚、白馬塚と呼ばれる2基の小墳丘がありましたが、住宅化により消滅しました。
  1950年に、神社本殿北側で一部調査が行われましたが、神社建造時に土層は撹乱されて、棺槨部は完全に失われていました。封土中には弥生式土器片も混入していましたが、これは弥生遺跡の中に周濠を掘り、それらを盛り上げて墳丘を築造したものと考えられます。
  現在は、伊居太神社の境内にあり、原形を失っていますが、わずかに古墳時代中期の古墳の面影をとどめています。

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