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亀の子からノンステップへ
わずか3台の電気バスで産声をあげた市営バス。いつの時代も変わらない便利な移動手段としての役割を果たしながら、高度経済成長や石油ショック、震災など、さまざまな時代の波にもまれ、その車体や規模、機能などは大きな変遷を遂げてきました。さあ、「市営バスの歴史」をたどってみましょう。
戦後間もない昭和23年、バス3台と運転手3人、車掌3人で、高州(阪神電車旧海岸線高洲駅)〜鶴町間、約1.6キロを結ぶ乗合バス事業を開始。当時はガソリン不足で、重いバッテリー(電池)を積んだ充電タイプの電気バスを運行していました。1夜充電して4時間程度走行できたというこのバス、スピードが遅く形も亀に似ていたことから「亀の子バス」という愛称で親しまれました。昭和26年には「むこのさと」「ことのうら」という名前の2台の貸切バスで、観光貸切バス事業も開始しました。
創業後、人口の増加や市民の生活圏の拡大に合わせて市営バスの路線網も順次拡大。昭和30年代半ばには路線網は市内全域に広がり、利用者も大幅に増加していきました。創業時から使用していた旧車庫(現在の防災センター付近)が狭かったため、昭和33年、久々知に新車庫ができるまでは、国道2号上に出て出発準備をすることもあったようです。昭和42年度には1日の平均乗客数が約12万8000人を記録。これは創業から現在に至るまでの最多乗客数です。
昭和40年代になると市内の自動車数が急増。交通手段が自家用車などへ移行し、交通量の増加による道路渋滞がバスの走行環境を悪化させるなど、バス離れの傾向が進んでいきます。また、昭和48年の石油ショック以後、物価の高騰が輸送コストの上昇を招き、市営バスの経営状況は年々厳しいものになっていきました。こうしたなか、昭和52年にはワンマン化率100%を達成するなど事業の効率化に取り組んでいきました。
昭和61年、虹をイメージした明るい配色に車体のデザインを一新。以降、このデザインが現在のバスにも受け継がれています。また、複雑になっていた路線網を、電車の主要駅を南北に結ぶ「幹線」を中心とした効率的なものへと変更しました。一方、歯止めがかからない乗客数の減少は、平成7年に発生した阪神・淡路大震災の被害やその復興作業による交通規制などの影響を受け、さらに拍車がかかる結果となってしまいました。
平成8年にペイントバス3台(下写真)を製作。車内に市内の学校や市民グループなどの絵画や写真などの作品を展示するギャラリーバス事業を開始しました。平成10年からは乗降口に段差が無く、信号などによる停車時のエンジン自動停止機能を備えた「人と環境にやさしい」ノンステップバスを導入。以降、新しい車両への更新はすべてノンステップバスにしています。平成12年にはカード支払いシステムを全車両に設け、多くの鉄道・バスで共通利用できる「スルッとKANSAI」への参加や回数カードの発行など、サービスの充実を図りました。
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