続紙巻子装、縦26.9cm、横155.4cm。
杭瀬庄雑掌申状案は、鎌倉時代の末期、元亨3年(1323)2月杭瀬荘が西隣の東大寺領猪名荘との間の新規開発地をめぐり、東大寺側の不当行為を訴えた文書です。古代から中世にかけて、尼崎市内には数多くの荘園があり、これらに関する史料は尼崎の古代・中世を考える上で欠かすことのできないものです。本文書は原本ではなく案文(写し)ですが、訴訟の内容がわかり、この文書によって鎌倉時代の杭瀬荘の歴史が明らかになります。
文書によれば、杭瀬荘は承保(じょうほう)年間(1074〜77年)の開発以来、堀河流藤原氏の家に代々伝えられた所領であり、猪名荘の域内とする東大寺側の主張には全く根拠がないこと、杭瀬荘西側に開いた耕地も当然荘園内の地であることが述べられています。関連文書がないため、訴訟の結末は不明ですが、土地の所属をめぐる荘園間の熾烈な争いの一端を今に伝えてくれる貴重な資料です。
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