長遠寺は大堯山(だいぎょうざん)と号する日蓮宗寺院で、観応元年(1350)、永存院日恩によって七ツ松に創建されたと伝えられています。その後、尼崎町の巽(辰巳)に再興され、法花寺と呼ばれていましたが、元和3年(1617)、尼崎城築城にともない現在地に移転しました。元亀3年(1572)の織田信長の「禁制」には「摂州尼崎内市場巽長遠寺」とあり、戦国時代の末期には現在の東本町2丁目あたりにあったことが分かります。
本堂は、桁行五間、梁間六間、入母屋造り、本瓦葺きで正面中央一間に
を設けています。建立年代は慶長3年(1598)及び元和9年(1623)の棟札がありますが、昭和56~58年の修理により元和9年の建築であることが明らかになり、現在地建築であることが確認されました。
構造形式は、正面に3段の木の階段をすえ、
柱(きぼしばしら)をあて登高欄(のぼりこうらん)つき、縁は四周につけ擬宝珠高欄を置く。
は面取り角柱、主屋柱は円柱。
は堂中央の三間四方をあて、その両脇を脇陣とする。内陣中央背面よりに
をすえ、上方に彩色を施しています。この堂は日蓮宗寺院に特有な構成を示すと同時に、平面の構成や改造の時期を知ることができ、その復元平面が中世から近世への過渡的な形態を示す点でも重要です。
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