本堂の北側に位置し、桁行十間、梁間七間、入母屋造り、本瓦葺の建物で、前面に一間半の広縁(半間はのちに拡張)、東側に一間の広縁がめぐっています。
建立年代は天文17年(1544)の棟札が残されていることから元和に移築されたのではないかといわれていましたが、昭和56年の解体修理の調査で軸部に解体した形跡がないことが確認され、元和3年(1617)この地に移転した際の建築であることが棟札の存在とともに明らかになりました。保存されている天文13年の棟札はおそらく移転前に存在した建物のものと思われ、移転時に持ってきたものであろうと考えられています。平成7年1月17日の阪神・淡路大震災では大きな被害を受け半解体修理を行いました。
南向きの正面東寄りに玄関、内部は6間取りで、南側に3間四方(18畳)の3室、北側に2間半(15畳)の2室及び西端に書院付き上段の間、北側2室の外側に濡れ縁付きとしています。この方丈は客殿とも呼ばれていて、戒壇院として使用されていたので、元和・慶安の棟札では戒壇院・戒壇精進院と記されています。方丈内各室の壁面・襖には曽我招興(そがしょうこう)の水墨山水画や法橋(ほっきょう)高平春卜(たかひらしゅんぼく)の人物・花鳥画が華麗に描かれています。
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